2023.09.19
Rapidus(ラピダス)株式会社による「日の丸半導体」復権への期待~半導体業界の歴史について~
こんにちは。リージョナルキャリア北海道のコンサルタント、福澤です。
9月1日にRapidus(ラピダス)株式会社の小池社長が、最先端半導体の開発・生産を行う新工場「IIM-1」の起工式を開催しました。
この工場は国内初となる2nm(ナノメートル)以下の最先端ロジック半導体を製造する施設で、この後2025年4月にパイロットラインを稼働し、2027年に量産を開始する計画です。
(※画像引用:Rapidus株式会社HP「IIM-1完成予想図」)
起工式には、西村経済産業大臣、鈴木北海道知事、横田千歳市知事のほか、NEDOの及川理事長、ベルギー研究機関のimec、アメリカ半導体製造装置メーカーのLam Research、オランダASMLといった海外半導体関連企業のトップや、JSR、SUMCOといった国内半導体材料メーカートップが出席。また岸田首相からもビデオメッセージが寄せられました。
同社の工場建設は、計画発表当初から国内外の高い関心を集めており、日本の半導体産業の立て直しに寄与することが期待されています。
今回は、Rapidus設立以前に、半導体業界でどのようなことが起きたかを振り返ってみたいと思います。
半導体の歴史
年または年代 | できごと |
---|---|
1947年 | ベル研究所(アメリカ)がゲルマニウムトランジスタを発明 |
1950年代 | トランジスタの時代 ▶コンピュータに使われていた真空管が、トランジスタに変わり大幅に小型化しました。 |
1960年代 | IC(集積回路)の時代 ▶ICは1959年にアメリカで発明されました。1967年にはICを使った電卓が開発され、日本でも電子機器メーカーが電卓を相次いで発売しました。 |
1970年代 | LSI(大規模集積回路)の時代 ▶1965年当時、ICの集積度は60個程度でした。その後集積度は飛躍的に増えていきます。 (1980年代のVLSIは10~1000万個、90年代のULSIは1000万個以上。2020年代の第12世代Coreは数十億個となりました。集積度の向上を支えたのは、半導体の微細加工の技術です。) |
1980年代 | 当時東芝の社員だった桝岡富士雄氏がフラッシュメモリを発明 ▶パソコン、ワープロ、FAX、ゲーム機等、新しい半導体応用機器が続々と登場しました。 |
1980年半ば~90年 | 日本メーカーが躍進 ▶特にDRAM(Dynamic Random Access Memory)分野で日本の総合電機メーカーが大きな力を持っていました。 |
1990年代~2000年代 | 韓国・台湾メーカーが急成長 ▶日本のDRAMメーカーのシェアが低下していきます。 |
2000年代後半 | ファブレスとファンドリによる分業化が主流となる ▶ここから台湾のTSMCの躍進が始まります。 |
※以下のサイトを参考に作成(最終閲覧日:2023年9月19日)
・東京エレクトロン公式サイト|nanotec museum
・日立ハイテク公式サイト|半導体の部屋
・JEITA半導体部会公式サイト|半導体の歴史
微細化が進む半導体(ムーアの法則)
1965年にゴードン・ムーア氏が半導体の性能向上を表す有名な法則「ムーアの法則」を提唱。LSI(大規模集積回路)の集積度は1.5年で2倍、3年で4倍、15年で千倍に高まるという予測をしました。
実際ほぼこの法則通りの経過をたどり、集積度の上昇に伴い、プロセス幅はどんどん微細化しています。
今後、TSMCやRapidusが目指すのは2nmの半導体。2nmというとDNAの幅と同じ、というのですから、驚くべき小ささですね!
(※画像出典:東京エレクトロン公式サイト/最終閲覧日:2023年9月19日)
「日の丸半導体」の台頭
1970年代後半には主役がDRAMに変わります。そのDRAM市場の主導権は、かつてはアメリカが握っていましたが、そこに日本の総合電機メーカーが次々と参入。1980年代には日本の半導体が世界を席巻し「日の丸半導体」とも呼ばれるようになりました。
しかしその隆盛も1990年ごろまで。以後は韓国や台湾などの企業が躍進し、日本企業のシェアは徐々に減少していきました。
■DRAM市場シェアの推移
1986年 | 1995年 | 2008年 | |
---|---|---|---|
1位 | 日本電気 | SAMSUNG | SAMSUNG |
2位 | 日立製作所 | 日本電気 | HYNIX |
3位 | 東芝 | 日立製作所 | エルピーダ |
4位 | 富士通 | HYNIX | MICRONTECH |
5位 | 三菱電機 | 東芝 | QIMONDA |
日本の半導体が衰退した原因
日本の半導体衰退の原因は諸説ありますが、主には以下のように言われます。
・総合電機メーカーの一部門として半導体事業を行っていたため、専業メーカーと同等の大胆な投資をする意思決定ができなかった。
・半導体の用途が大型コンピュータからPCメインになり韓国メーカーと価格競争になったが、日本は品質を重視したことで過剰品質となり、競争に負けてしまった。
・1990年以降、従来の「垂直統合型」から"設計"と"生産"に特化した企業に分かれて生産を行う「水平分業型」が主流となるも、日本はこの流れに乗り遅れた。
現在、半導体生産方式の主流となっている「水平分業型」において、その受託製造を担う企業はファウンドリーと呼ばれています。
近年シェアトップを独走し続けている台湾のTSMCは、このファウンドリーとして会社を急成長させました。
こうした諸々の要因により、日本の半導体メーカーは力を失い、1990年には49%を誇っていたシェアが2020年には6%まで低下してしまったのです。
この凋落に歯止めをかけようと、2000年以降、国と企業が一体となり「MIRAIプロジェクト」「あすかプロジェクト」「先端SoC基盤技術開発(ASPLA)」「HALCAプロジェクト」などのさまざまな国家プロジェクトが立ち上がりましたが、参画する大手電機メーカーの足並みが揃わず、失敗に終わりました。
そして日本の半導体産業は回復することなく、国内総合電機メーカーの多くが半導体事業から撤退していったのでした。
Rapidus株式会社の設立と日本の再挑戦
このように、一時は世界一だった半導体製造のシェアを他国に奪われてしまった日本ですが、2022年8月、ついにその復権に向けて大きなプロジェクトが始動することになります。
次世代半導体の量産を目指してソニー、トヨタ自動車、デンソー、キオクシア、NTT、NEC、ソフトバンク、三菱UFJ銀行という国内大手8社が出資し、Rapidus株式会社が設立されたのです。
設立の背景としては、大きく以下の2つが挙げられます。
・半導体のファンウンドリの多くが台湾と中国に集中していて、半導体の経済安全保障が喫緊の課題になっていること
・今後、自動車やAI向けの用途が拡大していく中で、国内での内製化を実現すること
Rapidusの今後
冒頭に記載した通り、Rapidusは2027年の量産に向けて動き出しました。そして、成功のカギを握るのは、資金と人材育成と言われています。
量産化に向けて国は3,300億円の助成を決定していますが、量産開始までに今後10年間で5兆円とも言われる設備投資が必要で、国の追加支援が必須です。
もう一つのカギである半導体人材の育成については、弊社ブログでも取り上げていますので、ご興味がある方はこちらの記事もご参照ください。
ラピダス進出 半導体人材育成の鍵、北海道内の理工学系大学に注目!|リージョナルキャリア
Rapidusの成功は、日本の半導体産業の復活につながるとして大きな期待が寄せられています。過去の失敗から教訓を得て、Rapidusが成功することを願っています!
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