ピースミール・テクノロジー株式会社
伊藤基成さん(ITコンサルタント) 47歳
自分が住みたい街で自分らしくキャリアアップするため、自ら行動を起こした。
東京でインフラ領域のSIer(システムインテグレーター)に勤務していた伊藤さんは、北海道で組織の立ち上げを任される。札幌で3年間を過ごし、北の地での生活に魅了されるものの、名古屋へ異動することに。
仕事に区切りがつけば札幌に戻してもらえるという話だったが、蓋を開けると次の転勤先は北陸。「大組織では個人の希望より会社都合が優先される」という現実に直面したという。
ちょうどその頃、ITコーディネーターの勉強を始めたことで、より経営戦略に近い上流工程に関われる「コンサルタント」に興味を持ち始めた。しかし、こちらも自分の希望を会社が叶えてくれる確証はない。「それなら自分で切り拓くしかない」と転職活動を本格的に始めた伊藤さんの体験談を紹介する。
※本記事の内容は、2023年12月取材時点の情報に基づき構成しています。
- 過去の
転職回数 - 2回
- 活動期間
- エントリーから内定まで384日間
転職前
- 業種
- システムインテグレーター
- 職種
- システム開発、PMO
- 業務内容
- 顧客へのシステム提案、設計、構築、また、システム開発のPMO
転職後
- 業種
- ITコンサルティング業界
- 職種
- ITコンサルタント
- 業務内容
- 顧客へのコンサルティング、プロジェクトの管理全般、システムの課題分析
現地の求人市場に詳しいリージョナルキャリア北海道の存在が心強かった。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
札幌にあるピースミール・テクノロジー株式会社で、札幌市のDX事業を担当しています。企画構想の段階から市役所と話をし、将来の姿を描いた上で5年後までの実行計画を作成、それに従っていまやるべきことに取り組んでいます。
北海道DX事業部は昨年から立ち上げた部署で、社長が一人でやっていた部署でした。この4月から一気に人員を増やしていて、私もその一人です。
具体的には社内の7~8人のメンバーを束ねるプロジェクトマネージャーと、札幌市の担当を含めて20人近くになるプロジェクトの全体統括責任者、さらにはお客様からの期待が非常に大きいため私自身もSEとして現場に入ってプロジェクトを推進しています。
入社前のご経歴を教えてください。
大学時代は慶應義塾大学のSFCでコンピューターや語学、社会学や歴史学を学びながら、アルバイトでインターネットプロバイダーのテクニカルサポートをしていました。スーバーバイザーまで務め、10人のチームと2~3人のチームを取りまとめていましたね。
卒業して就職したのはベンチャー企業。とはいっても、SIerとともに総務省のプロジェクトに参加していました。2000人ほどが働く統計局のシステム構築や運用管理に10年ほど携わりました。
その後2度転職をして、前職は東京にある商社系の大手SIerで設計、開発、構築、運用、管理まですべての工程を手がけていました。
転職のきっかけは?
札幌の地方銀行向けプロジェクトを他のメンバーが行っていた際にトラブルが発生し、当時私はISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)の担当者でしたので、リカバリーの役割を担うことに。最初は出張だったのですが、結局はそれに巻き込まれるかたちで『北海道組織の立ち上げ』という新しいミッションで転勤になったんです。
3年間札幌で暮らし、その後2019年秋に名古屋へ転勤になるのですが、また札幌に戻れるということで会社とは話をしていました。
札幌に戻れるなら勝手を知った会社で仕事を続けるのが一番と思っていたのですが、次の転勤場所はなんと北陸だったんです。思いもよりませんでしたが、人事異動はその時の状況次第。会社の都合が優先されるので受け入れるしかありませんでした。
北陸には行ったことがなく、人脈もありませんでした。北海道で人脈の大切さを経験したことから、北陸でもまずは人脈開拓からと思い、人脈が作れるITコーディネーターの資格取得に向けて勉強を始めました。
そこで自分がこれまで担当していた仕事の領域が、すごく狭い世界だったということを知ったんです。ITというのはあくまで手段。その上流には経営者の想いや経営戦略があり、取り組むべき業務があり、それをITとしてどう実現していくのかというところでやっと私の出番でした。
SIerとしての知識や経験は積み重なっていた一方で、「もう一段上に行きたい、全体的な戦略を考えるところから関わる『コンサルタント』という新しいキャリアに挑んでいきたい」と考えるようになりました。
しかし、それが勤務地すら希望通りにならなかった今の会社で叶うのか…。そう考えた時、会社に期待するよりも自分で切り拓いていこうと考え、アクションを起こしたんです。『札幌』で『インフラ』領域の『コンサルタント』というのが転職の条件でした。
転職活動はどのように進めましたか?
最初から最後までリージョナルキャリア北海道一本でした。名古屋にいた時に「将来的に転職することがあるかも」となんとなくネットを見ていたことがリージョナルキャリア北海道を知ったきっかけです。連絡してから転職コンサルタントの荻野さんが足掛け3年くらい、ずっと担当してくれました。
名古屋にいるときは、次は北海道に転勤という大前提があったので「転職してまで札幌に戻る」と活動に本腰を入れていませんでした。それが転勤先は北陸となってしまい「今年度でたぶん転職します」と荻野さんに伝えました。
札幌のIT業界は、開発需要は多いもののインフラ開発の需要は少なく、いつも求人があるわけではありません。札幌の求人事情をよく知っている荻野さんだからこそ、その時にしかない求人を紹介してもらえる。しかも私が目指すキャリアや希望を分かってくれている。それは札幌から離れた北陸にいてもとても心強かったです。
今の会社に決めたポイントは?
荻野さんからは複数の企業を紹介いただきました。その中にはメーカーやユーザー企業もありましたが、やはり「コンサルタントをやりたい」という想いが強く、ピースミール・テクノロジーに絞って面談に進みました。
次のキャリアに進んだことで、付き合う人の層が変わった。
転職していかがですか?
大企業から中小企業に行くということで言えば、前職では当たり前にあったメーカーさんとの情報交換の場もないし、最初はいろいろと不安でした。
また人に対する企業文化の違いを感じましたね。前の会社は商社系で勢いがあり、分かりやすく言えば体育会系でした。その風土でのコミュニケーションの取り方が体にしみ込んでいたため、今の職場環境でうまく仕事が進むように、言葉を選んだり、伝え方を考えるなど自分自身をチューニングしていくことに努めました。
転職して良かったと思うことは?
やりたかったコンサルタントの領域に挑戦できていることです。企画構想の段階から札幌市の職員と話をして、未来を描いて組み立てるプロセスに関われており、キャリアアップした実感があります。
また、付き合う人の層が変わりました。これまでは社内のメンバーやメーカーさんとの付き合いがほとんどでしたが、今年4月からはITコーディネーターとしても認定され、北海道にいる他のITコーディネーターとの交流が生まれています。自治体DXを進めているチームの方も紹介いただいて有益な情報交換ができています。
困っていることや課題はありますか?
メンバー育成ですね。一人ひとりが輝いてもらえるような職場を作りたい。一言にインフラと言っても幅広いんです。セキュリティやネットワーク、サーバーなど、いろいろな分野があります。またメンバーにも得意不得意があります。任された仕事と自分の得意がマッチしないとうまくいきません。
得意じゃない仕事をふってしまってパフォーマンスが上がらないこともある。その一方で、できることだけをやっていても成長がありません。メンバーそれぞれの「今できることと」と「これから伸ばしたい力」の両方を把握している必要があります。
その人の「こうなりたい」に合っていれば、例え未経験の仕事でも力を伸ばしていきます。このあたりは職務経歴だけを見ても分かりません。メンバーを観察し対話しながら見極める必要があります。一人ひとりとの関係を構築していくしかないんです。
そうしてメンバーが育っていけば一つひとつのプロジェクトの精度が高まるだけでなく、北海道DX事業部の組織全体の力をあげていくことにつながります。
生活面の変化はありましたか?
東京と違って、札幌はすこし行けば大自然が広がっています。そういった環境の中で、小樽で海鮮を食べたり、支笏湖に行って温泉に入ったり。車を1時間も走らせれば、東京の人がうらやむようないろいろな場所にアクセスできるので、満喫しています。
東京って自然の中でリラックスしようと思うと、高尾山とか江の島とか行けるところはだいたい限られているんです。その選択肢の多さや自由度がこちらは全然違います。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
「札幌に戻って来たい」と思い続けて行動を起こした結果、今の会社では「皆が安心して暮らせる札幌の街づくり」に貢献できる仕事に関われています。
転職を考えているのであれば、どんどん行動に移したほうが良いと思います。私も何度も悩んだし、「コンサルタントとして本当にやっていけるのか」という不安もありました。前の会社への配慮もあり意思決定もすごく遅くなってしまいました。
荻野さんにはだいぶ心配をかけたと思います。でも決断して良かった。転職にはいろいろな不安があるかと思いますが、相談できる相手がいると心の拠りどころになります。私には現地の求人事情を熟知した荻野さんがいてくれて、すごく安心できました。