株式会社シロ
川内和亮さん(生産管理) 37歳
ギャップの先に見つけた、自分の成長、新しいやりがい。転職に挑戦してよかった!
北海道出身の川内さんは、高校卒業後に地元の薬品メーカーに就職。ずっと同じ仕事・環境で働き続けていたが、30歳を過ぎた頃から、「自分のスキルが外の世界でも通用するのか?」という思いが募ってきたという。
そして35歳を迎え、「人生の折り返し地点」を自覚したタイミングで、ついに転職を決意。現在の化粧品メーカーと出会う。そこで待っていたのは、初めて体験した「外の世界」の洗礼。
さまざまなギャップを感じながらも見事に乗り越え、今や工場の中核で活躍する川内さんに、ギャップを乗り越える秘訣や今回の転職で得たものをうかがった。
(※本記事の内容は、2022年8月取材時点の情報に基づき構成しています)
- 過去の
転職回数 - 0回
- 活動期間
- エントリーから内定まで185日間
転職前
- 業種
- 繊維・化学・薬品・化粧品
- 職種
- 医薬品製造
- 業務内容
- 生産コスト削減、生産改善など
転職後
- 業種
- 繊維・化学・薬品・化粧品
- 職種
- 化粧品製造
- 業務内容
- 生産計画、出荷計画立案、原材料在庫管理、生産改善、労務など
人生の折り返し地点で、「1社で終わったら面白くない」と思った。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
北海道にある「SHIRO」というコスメティックブランドの工場で、生産管理をしています。ポジションは製造グループのチーフですが、仕事内容は「なんでも屋」(笑)。生産計画や改善計画の立案から、現場に入ってのライン保守、スタッフ採用の面接、工場周辺の草刈りまで、なんでもやっています。
さらに、現在は2022年12月に完成予定の新工場の準備をしているところ。工場を立ち上げる経験はそうそうできないので、本当にいい経験をさせてもらっています。
入社前のご経歴を教えてください。
出身は北海道の釧路市です。地元の高校を卒業後、釧路市内の製薬会社に就職し、約20年間、生産本部で働いていました。現場の生産業務からスタートし、生産コストを削減するための施策を任されていました。
転職したきっかけは?
同じ会社でずっと働いているうちに、それまで自分がやってきたことが外の世界でも通用するのか、気になってきました。それまでやってきたことが、本当に正しいのか。スキルが他の会社でも通用するのか、試したくなったのです。
35歳を超えると、自分の人生も折り返し。「あれ?このままでいいのかな?この1社だけで終わるのは面白くないかも・・・」と思うようになりました。
しかも、ずっと釧路市で過ごしてきましたからね。外の世界の人と接したいという思いが膨らんできたこともあり、前職に大きな不満はなかったのですが、転職活動を始めました。
転職活動はどのように進めましたか?
前職とはまったく違う業種も考えましたが、自分の経験を試したいという想いがあり、製造工場に絞って探しました。その中でも、医薬品製造業は経験したので、化粧品や食品の製造工場を中心に北海道内で探しました。
私は、最初から転職コンサルティング会社を利用したわけではありません。大手の転職サイトに出ている求人を毎日チェックして、社名や内容を見て、良さそうなところはホームページを調べて応募する、ということを繰り返していました。そのうちの1社がシロで、その募集窓口がリージョナルキャリア北海道だったのです。
今の会社に決めたポイントは?
最初は正直、「なんとなく面白そうだな」くらいの軽い気持ちで応募しました。「ここに入りたい!」と強く思ったのは、工場での面接からですね。面接が終わった後、ガラス越しに場内を見て、「ここは自分に向いているスタイルだな」と感じたのです。なんでも機械で作るのではなく、人の手作業もあり、お客さまに良いものを届けたいという熱い思いにも共感しました。
前職の工場で、「自分の次に製品にさわるのは、お客さま。そういうことを考えて、製品を作っていくんだ」と教えられてきたので、この工場だったらそれが実現できるのではないかと思いました。
まずは今の会社を理解し、順応する。そうでなければ自分の力も発揮できない。
転職していかがですか?
最初は現場からスタートしました。自分が入る前に前任者が退職して、その代わりとして入社。私は、もともと生産計画を組んだ経験はありませんでしたが、工場には人が少なく、いきなり現場にも入らないといけない状況でした。なにもわからない状態で前任者のようにうまくはできず、最初は、正直つらかったですね。
そこを乗り越えられた要因の一つは、人間関係が良かったことだと思います。役職に関係なく、全員がフランクな社風。私のように外から来た、右も左もわからない人間に対して、皆やさしく接してくれました。最初は手探りでしたが、だんだん話しができるようになると、多くのことを楽しく感じるようになりました。
それから、代表取締役会長である今井の「楽しもう!」という一言です。作り手が楽しく笑顔でなければ、企業理念である「世の中をしあわせにする」も叶わないと気づいたことを覚えています。言葉にすると簡単ですが、仕事を楽しもうと思う人は少ないと思います。自分自身、ネガティブな気持ちで暗い表情をしながら作られた製品よりも、楽しそうに笑顔で作られた製品の方が幸せな気持ちになるなと感じたことが大きいです。
転職して良かったと思うことは?
今の会社では、仕事は与えられるものではなく、自分で拾いに行って、自分から取り組まないといけません。ですから、現場の見方はすごく成長したと感じます。そして、思っていることを仕事にできる環境なので、やらされるのではなく、自らやる楽しさも感じますね。
また、前職ではお客さまと工場の距離がすごく遠い印象でしたが、今は自社ブランドなのでお客さまの声が自分まで届きます。自分が製造に携わっている製品がお客さまに届く、という実感を持ちながら仕事ができます。何よりも、製品が完成してからお客さまに届くまで、大勢の人が携わっていることがはっきりとわかったことで、関わっている方々へ感謝する気持ちが今まで以上に強くなりました。そういった点から、仕事を通じて人間的にも成長できたのではないかと思っています。
困っていることや課題はありますか?
会社によって、同じものをさす言葉が違うことです。最初は周囲が言っていることがわからなかったし、こちらが言っていることが通じないことも多く、入って数カ月は「どうしよう?」と思い悩むこともありました。しかし、半年たった頃から「悩んでいてもしょうがない」と開き直ることができるようになり、そこから仕事もスムーズにいくようになりました。
もう一つ驚いたのは、砂川市の雪の多さですね。釧路市は意外と積もらないので、砂川市に来てびっくりしました。冬は毎日、車の除雪が必要です。ただ、砂川市は北海道の中間エリアにあるので、どこへ行くにも便利です。札幌へも1時間ほどで行けます。
生活面の変化はありましたか?
いちばんの変化は、初めて釧路市から引っ越したことです。今は砂川市にある工場の近くに住んでいます。通勤は車で5分かからないくらいですね。休みもしっかり取れていますよ。土日は休みですし、有給休暇もしっかり消化しています。
休日は1人でドライブに行ったり、当社がスポンサーになっている独立リーグの野球チーム「すながわリバーズ」の応援に行ったり。この野球チームに所属する3名の選手がうちの工場で働いていて、先日は仕事が終わった後にキャッチボールをしてもらいました(笑)。
また、釧路市から出てみたことで、釧路という街の魅力を再認識しています。若い人が遊ぶ場所は少ないですが、食べ物のおいしさや街の住みやすさを、改めて知ることができました。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
正直、転職は甘くはありません。しっかりした想いや考えを持っているのなら、次のステージにどんどん挑戦してもらいたいと思いますが、そこがふわっとしている人は、もう1度じっくり自分を見つめ直してほしい。今思えば、自分もふわっとしていたので、最初はギャップを感じることのほうが多かったのだと思います。
入社した頃を振り返ると、「作った自分」で乗り込んだ部分もあると思います。薬品メーカーから化粧品メーカーに来て、手掛ける製品の違いに加えて工場の規模がかなり小さくなったこともあり、どうしても前と比べてギャップばかり感じていました。そういう余計な感情を取り払ってしまうことが、仕事に対して前向きになるきっかけになりました。
今はこの会社にいるのだから、ここに合わせて順応する。その後に、自分の思いを表現していこうと。まずは今の会社のことを理解しなければ、周りも自分のことを理解してくれませんからね。おかげで今は楽しいし、成長できたと思います。
転職にはギャップや挫折もつきものだと思いますが、乗り越えれば、きっといいことがあります。だからしっかりとした想いを持って、チャレンジしてほしいです。