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食の卸から、地域の一次産業を支える会社へ。
株式会社食創
代表取締役社長 竹森 直義
北海道清水町出身。1982年、株式会社食創の前身となる十勝米穀株式会社に入社。精米工場に配属され、玄米の仕入れから精米、商品化まで、米に関わる現場経験を重ねる。2002年、十勝米穀株式会社と空知米穀株式会社の合併により株式会社食創が誕生。2009年に本社へ異動、2014年に代表取締役社長に就任。現在は飼料事業と米穀事業を中心に牧場や米穀店のグループ化、米の輸出、畜産現場におけるデータ活用、環境価値の地域還元などを推進。北海道の一次産業を支える企業として、卸売の枠を超えた価値創造に取り組む。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
精米工場で知った、米の旨みと現場の仕事。
私が食創の前身となる十勝米穀株式会社に入社したのは1982年(昭和57年)です。高校卒業を控えた頃、進路指導の先生から「十勝米穀で募集しているから受けてみなさい」と勧められたのがきっかけでした。何の会社かもよく分からないまま受けた、というのが正直なところです。
入社後に配属されたのは精米工場でした。玄米を仕入れ、精米して商品にする現場です。本社に移ったのは2009年で、それまでは長く工場で仕事をしていました。振り返ると、この現場での経験が今の経営判断の土台になっています。
精米は、ただ米を削るだけの作業ではありません。玄米から白米になるまでに精米機を四つ通りますが、その加減によって歩留まりも食味も変わります。削りすぎると米の旨みが落ち、残りすぎると糠の風味が強く出る。
ある時、最後の精米機から出る糠を少し取って舐めると、きなこのように甘かったんです。「米の旨みはここにあるんだ」と実感したことは、今でもよく覚えています。
現場では、少し工夫すれば結果が見えます。数字だけでは分からない価値も現場にはあります。食べ物を扱う仕事の奥深さを精米工場で学びました。
飼料と米を軸に、北海道の食を支える事業構造。

現在の当社の事業は、大きく見ると飼料と米が中心です。売上構成でいうと、飼料事業が55%、米穀事業が30%。残りの15%を、食品事業と灯油・ガスなどのエネルギー事業が担っています。平時の収益性で見ると、やはり飼料事業が会社の屋台骨です。
もともと当社は1952年(昭和27年)に食料品卸として創業しました。戦後の食料事情がまだ安定しない中で、砂糖や小麦粉、米など、暮らしに欠かせない商品を扱いながら事業を広げてきました。
その後、米の食管法が廃止され、米の流通が自由化されると十勝管内だけでなく釧路、札幌、道外へと営業エリアを拡大。
2002年には産地に近い空知米穀株式会社との合併を通じて、原料の確保と全国展開を進めようとしました。ただ、合併は簡単なものではありませんでした。企業文化の違いもあり、10年、15年ほどは社内で難しい時期が続きました。
私が社長に就任したのは2014年です。入社から30年以上、長く精米工場を中心に現場を見てきた立場から、この会社をどう次の時代につなげていくかを考えることになりました。
北海道米の評価が高まり、飼料事業も地域の畜産を支える柱になっていく中で、単に卸として販売量を増やすだけではなく、現場に踏み込んだ価値を持つ会社に変えていく必要があると感じていました。
売上規模より、地域に必要とされる会社でありたい。
社長に就任してから、会社の売上や規模の拡大だけを目標にしてきたわけではありません。事業を続けていくためには利益も成長も必要です。ただ、私がそれ以上に大切にしているのは「地域の皆さんに必要とされる会社であり続ける」ことです。
当社が扱っているのは、米や食料品、飼料、エネルギーなど、人の暮らしや一次産業に欠かせないものです。どれも日常にありふれている製品ですが、その裏側には生産者の努力や流通の仕組みがあります。そこが途切れてしまえば、地域の暮らしも産業も成り立ちません。
近年は飼料価格やエネルギー価格の上昇、後継者不足など、一次産業を取り巻く環境が厳しくなっています。農家さんの中には事業の継続が難しくなっている方もおり、そうした現場を見ていると私たちの仕事は単に商品を仕入れて販売するだけでは不十分だと感じます。
必要なのは、現場で何が起きているのかを知り、そこで得た情報や知見を次の提案に変えていくことです。飼料を売るなら、牛の飼育や牧場経営の課題まで理解する。米を扱うなら、価格だけでなく、食べ方や選ばれ方まで見に行く。そうして初めて、卸売の仕事にも新しい価値が生まれます。
私たちは、物を右から左へ流すだけの会社で終わるつもりはありません。地域の現場に入り、困りごとを一つずつ拾いながら、食と一次産業を支える会社でありたい。その考え方が今の私の経営の軸になっています。
牧場と米穀店を持ち、卸の役割を広げていく。

卸売の仕事は、仕入れて販売することが基本です。ただ、それだけでは付加価値を出しにくい時代になっています。だからこそ当社がより現場に入り、そこで得た知見をお客さまに返していく必要があると考えてきました。
その一つが、牧場をグループに迎えたことです。もともとは、家畜飼料のお取引があった牧場の社長が急に亡くなられ、奥さまから声をかけていただいたのがきっかけでした。悩みましたが、当社にとって飼料事業は屋台骨です。
自社で牧場を持てば、牛の飼育を直に理解できるようになります。子牛の状態や餌の与え方、飼育環境によって何が変わるのかを知ることで、飼料を売るだけではなく、提案できる会社になれると考えました。現在、その牧場には常時2,300頭ほどの肉牛がいます。
もう一つが、米穀店をグループに迎えたことです。卸としてスーパーや業務店に商品を提案しているだけでは、最終的にお米を買うお客さまが何を求めているのか、なかなか見えません。
価格なのか、味なのか、玄米や分づき米のような食べ方なのか。米穀店には消費者の声が直接集まります。実際、スーパーではあまり売れなかった玄米や分づき米でも、米穀店では必要としているお客さまがいます。
牧場も米穀店も、単に事業領域を増やすために持ったわけではありません。生産の現場と消費の現場を知り、卸の立場にその知見を重ねることで、当社だからできる提案の幅を広げていきたいと考えています。
経験と勘を、データと提案に変える人材が必要に。
これからの当社に必要なのは、現場を理解し、新しい技術やデータも使って提案できる人材です。一次産業の現場には、長年の経験や勘によって支えられてきた部分が多くあります。経験や勘はとても大切な資産ですが、人手不足や後継者不足が進む中で、それだけに頼り続けるのには限界があります。
飼料事業では、5年ほど前から牛にセンサーを付ける取り組みを始めました。牛が1日の中でどれくらい食べ、寝て、動いているのか、活動量の変化を見ることで体調不良や発情、出産の兆候などを把握しやすくなります。
これまで牧場の方々が経験と勘で見てきたものをデータで見える化することで、生産性の向上や省力化につなげていく取り組みです。ただ、データを集めるだけでは意味がありません。そこから何を読み取り、お客さまにどう伝えるかが重要です。
牧場の現場を知らなければ、数字だけを見ても本当の課題は分かりません。現場感覚とデータの間をつなぐ人材が、これからますます必要になるでしょう。
当社が目指しているのは、単に商品を販売する営業ではありません。お客さまの現場に入り、困りごとを聞き、飼料やデータ、飼育ノウハウを組み合わせて提案する仕事です。食品や米の分野でも、消費者の声を拾い、仕入れや商品提案に生かしていく力が求められます。
現場を大事にしながら、新しいものにも向き合える人。生産者と同じ目線に立ち、数字や技術を使って支えられる人。そういった人たちと一緒に、卸売の仕事を次の形に変えていきたいと考えています。
輸出と環境価値で、一次産業の未来を広げる。

これからの当社は、地域の一次産業が次の世代にも続いていくために新しい販路や価値のつくり方にも取り組んでいきます。
その一つが米の輸出です。2025年に収穫した米は仕入れ価格も高く、海外に持っていくには厳しい面がありました。正直に言えば、今はまだ投資の段階です。
それでも、北海道の米のおいしさを海外に知ってもらい、将来的な販路をつくることには意味があります。生産者の方にとっても、「自分の作った米が海外で食べられている」と思えるのは励みになるはずです。
物流面では、広尾港を活用した輸出の実証実験が進んでいます。これまで苫小牧から横浜を経由していたものが、道東・十勝に近い港から出せるようになれば、農産物や加工品を届ける流れも変わってきます。地域のものを生産地に近い場所から送り出せることには、大きな意味があります。
もう一つ関心を持っているのが、田んぼの中干し期間を調整してCO2削減につなげる取り組みです。当社では年間200トン分の排出権を購入し、それを地域のイベントなどに還元できないかと考えています。生産者の収入にもつながり、地域にも価値を戻せる仕組みになれば面白いと思っています。
米の輸出も、広尾港の活用も、環境価値の地域還元も、すぐに大きな利益を生むものではないかもしれません。それでも、地域の生産者が意欲を持ち、次の世代が一次産業に可能性を感じられるようにすることが大切です。食を扱う会社として、私たちにできることを一つずつ形にしていきたいと考えています。