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札幌から100億円企業へ。逆風の中で下した決断。

株式会社藤井ビル
代表取締役社長 藤井 將博

更新日:2026年4月01日

1974年札幌市生まれ。道都大学美術学部建築学科卒業。1997年に藤井ビルへ入社し、社長室長、専務取締役などを経て2015年に代表取締役社長に就任。賃貸マンション・オフィス・テナントビルを軸に、不動産売買・仲介、ホテル事業などを展開し、事業の複線化と組織づくりを進めている。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

拓銀破綻で知った不動産の現実。

1997年に藤井ビルへ入社し、実務を学ぶために北海道拓殖銀行(拓銀)系の不動産会社「タクト」へ3年契約で出向しました。しかし、入社して間もなく拓銀が経営破綻。私はニュースでそれを知り、翌朝の全体朝礼でこの会社もどうなるか分からないことを告げられました。

その後の半年間は、残務整理を担当しました。法務局に通い、全国に点在する土地の登記を確認して目録をつくる日々です。幅30センチ、長さ20メートルといった用途の見えない土地もありました。切り売りの果てに、宙に浮いたような不動産です。

そこで、不動産は夢や開発の話だけではなく、「責任の事業」だと痛感しました。土地は買って終わりではありません。整理し、管理し、次につながなければ負債になります。

だからこそ、後に自社で約60億円規模の投資を判断する際も、「出口は見えているか」「最悪の場合でも整理できるか」を徹底して考えました。失敗の現場で学んだ現実が、いまの経営の土台となっています。

拡大と整理を経て、三代目が担う「再設計」。

当社は祖父が創業し、父が継いできた会社です。祖父の時代は拡大でした。土地を仕込み、建て、広げていく。不動産の成長期そのものだったと聞いています。

一方、バブル崩壊後は状況が一変します。父の時代は拡大ではなく整理でした。坪2,000万円で購入した100坪、つまり20億円規模の土地をはじめ、不良資産の処理に向き合い続けました。子会社への分割売却なども行いながら、時間をかけて財務を立て直したのです。

そのおかげで、私が引き継いだとき、会社は健全な状態にありました。だからこそ私の役割は明確でした。拡大でも整理でもない、「再設計」です。

当時の収益の大半は賃貸でした。安定はしていますが、借入と常に背中合わせで返済が進む前に次の物件を取得する構造です。

このままでは規模は横ばいで、会社は守れても成長は描けない。祖父が広げ、父が整えた土台の上で、私は「どう伸ばすか」を考える必要がありました。

過去を否定するのではなく、構造を見直す。守るために変える。その再設計が、私の経営の出発点でした。

コロナ禍で主力ビルの4割が退去。

社長就任後、最大の逆風はコロナ禍でした。特にF45ビルは大型区画が多く、飲食テナントの退去が相次ぎ、ピーク時には約4割が空室になりました。

小規模店舗には補助金が行き届く一方で、大型区画ほど打撃は大きい。何もしなければ空室が連鎖し、ビル全体の価値が下がる状況でした。

私は広いフロアを分割する決断をして、1フロア1店舗から8区画へ細分化。水回りを新設し、1〜2人でも開業できるサイズに変更しました。

改装費の回収には最低でも7年はかかります。それでも「空けたままにしない」ことを優先しました。守るためには、やり方を変えるしかなかったのです。

結果として区画は短期間で埋まりました。この経験で確信したのは、「環境が変わるなら、事業の形も変えなければならない」ということでした。

安定に見える賃貸も、構造を見直さなければ持続しない。コロナは、その現実を突きつけました。だからこそ私は守るだけでなく、事業の軸そのものを強くする必要があると考えたのです。

60億の投資と、複線化という決断。

再設計を進める中で最大の意思決定は、同一年に実行した約60億円規模の投資でした。札幌中心部の大型ビルと北広島の15階建てマンション。この二つをほぼ同時期に取得・開発しました。

財務だけを見れば慎重論が出る局面でした。借入増、金利上昇、建築費高騰。条件だけ並べれば積極的に動く環境ではありません。それでも決断しました。

基準は明確でした。「札幌で存在感を持てる物件かどうか」です。利回りだけではなく、街の中で会社の顔になるか。不動産会社にとって物件は信用そのものです。将来にわたって語れる資産かどうかで判断しました。

同時に、事業モデルの複線化も加速させました。当社の軸は賃貸です。安定したキャッシュフローは強みですが、借入を伴う以上、一本足では限界があります。

そこで、1棟販売の強化、仲介の拡充、区分リノベーション、ホテル事業へと領域を広げました。所有し続けるモデルと回して利益を出すモデルを組み合わせ、「持つ会社」から「回す会社」へ軸足をずらす。

60億という数字は拡大の象徴ではありません。札幌で持続的に成長するための、事業基盤への投資でした。

社長が本音を語らなければ、組織は変わらない。

これまで当社は離職率が高い会社ではなかったものの、ここ数年で若手社員が数名退職しました。彼らに共通していたのは、「社長の考える方向性が十分に伝わっていなかった」という点です。

私は経営方針発表会や朝礼で話しているつもりでも、一方通行だったのだと気づきました。そこで半年間、外部コーチを入れて1on1の対話を始めました。

部署を横断して5名を選び、1人あたり10回、各30分ほど。合計で50回の対話を行いました。最初はぎこちなかったですが、回数を重ねるうちに本音が出てきました。

評価への不安、将来への迷い、業務負荷の偏り。私はそれを受け止め、自分の目標も正直に話しました。「5年で100億を目指している」「そのために事業を複線化している」と。

腹の内を見せると、組織の空気は変わります。対話を経て、目標を自分ごととして捉える社員が増えたと感じています。

人事評価制度の見直しにも着手しましたが、制度を整えるだけでは信頼は生まれません。信頼は対話の積み重ねから生まれるものだと感じています。

会社を持続させるのは制度や戦略だけではありません。社長が本音を語り、目指す方向と覚悟を共有できるかどうか。それが組織の強さを決めるのだと実感しています。

まず、5年で100億企業へ。

私はいま、5年で売上100億円を目標に掲げています。札幌で存在感を持つための一つの分岐点だと考えています。

目指しているのは数字そのものではありません。安定した財務基盤を築き、景気変動や金利上昇にも耐えられる体力を持つこと。そして社員が安心して働き続けられ、その家族も安心して暮らせる環境をつくることです。

札幌は約200万人の都市で、市場は決して大きくありません。だからこそ、限られた都市圏の中でどう役割を果たすかが問われます。

不動産を通じて札幌の街に責任を持ちたい。単なる所有者ではなく、都市の一部を担う存在として成長したい。

祖父が広げ、父が整えた会社を私は次の成長軌道に乗せます。その先に1,000億規模の企業像も描いていますが、それは結果です。

札幌で生き、札幌で事業を続ける。地域社会への貢献を果たすため100億企業へ。それは、この街で会社を残すという私の責任です。

編集後記

コンサルタント
續 似洋

今回のインタビューを通じて印象的だったのは、藤井社長が「逆風の中でこそ意思決定をする経営者」だという点でした。

拓銀破綻やコロナ禍という危機。そのどちらも、守りに入る理由になり得たはずです。しかし社長は、そこで立ち止まるのではなく、構造を見直し、60億円規模の投資と事業の複線化へと踏み出しました。

数字を追うのではなく、札幌という都市で会社を残すために何を選ぶのか。その視点が一貫していることが強く印象に残りました。

組織との対話もまた、戦略の延長線上にあります。都市に責任を持つという覚悟が、投資にも、事業モデルにも、組織づくりにも通底していると感じました。

札幌という限られた市場で存在感を示し続けることは、決して容易ではありません。それでも「札幌から100億企業へ」と掲げる背景には、規模の拡大ではなく、持続への強い意思があります。

この街に会社を残す。その覚悟が、今後どのような景色を生み出していくのか、引き続き注目していきたいと思います。

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