ホクレン情報サービス株式会社
岩崎貴史さん(システムエンジニア) 32歳
北海道で腰を落ち着けて暮らしたい。出向・転勤のない安定企業でエンジニアとしてのやりがいもアップ。
西日本で生まれ育った岩崎さんが大学卒業後の就職先に選んだのは、札幌市に本社を置くIT企業。学生時代から交際していた奥様が北海道出身だったため、たびたび北海道に足を運び、豊かな食と自然に魅了されたという。しかし、札幌本社の企業に入社したものの、出張を重ねた末に東京支社へ転勤。システムエンジニアとしてのキャリアは順調でも、いずれは北海道で暮らしたいという気持ちが強く、心はどこか不安定なままだった。「いずれは」が「今」に変わったのは、子どもを授かった時。大好きな北海道で家族と暮らし、システムエンジニアとしてもより責任のある仕事をするために、30歳で踏み出した転職活動。その経緯と現在の思いを岩崎さんに伺った。(※本記事の内容は、2018年8月取材時点の情報に基づき構成しています)
- 過去の
転職回数 - 0回
- 活動期間
- エントリーから内定まで365日間
転職前
- 業種
- IT(ソフトウェア・情報処理)
- 職種
- SE
- 業務内容
- 業務アプリケーション開発・保守作業
転職後
- 業種
- IT(ソフトウェア・情報処理)
- 職種
- SE(プロジェクトマネージャー候補)
- 業務内容
- 自社及びグループ会社のコンピュータシステムの開発及び社内SE(運用管理)
札幌の企業に就職するも、仕事のフィールドは東京。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
ホクレン情報サービスはホクレン農業協同組合連合会(ホクレン)グループのソフトハウス。私はシステムエンジニアとしてシステムの要求分析、要件定義、開発監理を行っています。簡単に言うと、ユーザーからの要望に基づいてシステムの企画や設計を行い、外部に開発を発注、監理を行うのが今の仕事です。ホクレンおよびそのグループ会社が主なユーザーであり、業務システムや会計システムなど、社内の基幹系システムの構築を行なっています。農業の仕組みの変化に応じたシステム変更に関わることもあるのですが、ホクレンは大きな企業 なので、関わった仕事が農業新聞に掲載されることもあります。そういった際に、社会的な影響と責任の大きさを感じます。
入社前のご経歴を教えてください。
出身は宮崎県で、山口県の大学に就学後、札幌市に本社を置くIT企業に就職。システムエンジニアとしてシステムの設計、開発、テスト等を行なっていました。当時から交際していた妻の地元が北海道で、学生時代に何度か北海道に来る機会がありました。食べ物も美味しいし自然もきれいだし、訪れるたびに「住みたい」という思いが強くなり、就職先も札幌で決めました。ただ、札幌に本社があるとはいえ、システム開発の案件はどうしても東京が多く、東京に常駐して対応しなければなりませんでした。そのため、札幌に勤務していたのは1年ほどで、その後は東京出張の多い生活。結局は東京の支社に異動し、最後の3年ほどは東京で生活していました。前の会社には8年ほどお世話になり、システムエンジニアとしてのスキルを身につけました。
転職のきっかけは?
東京の支社に異動する前に結婚しており、東京で過ごした3年ほどの間は、公務員の転職を考えていました。札幌市近郊の自治体職員になれないものかと、勉強して試験を受けていたのですが、うまくいきませんでした。そうした中、子どもを授かったことがわかり、このタイミングで北海道に帰ろうと、民間企業に間口を広げて転職活動をすることにしました。関東では子育てをする上での後ろ盾がありませんから、子育ては北海道でと考えていたのです。
転職活動はどのように進めましたか?
全国区の転職メディアは最初から使いませんでした。北海道に重点を置いて転職の斡旋をしているような転職コンサルティング会社に登録しました。その一つがリージョナルキャリア北海道でした。私からコンサルティング会社に伝えた条件は、北海道に定住できること、出張や転勤がないこと、収入が今よりも下がらないこと。何社か求人情報をリストアップしてもらったところ、リージョナルキャリア北海道からの紹介に「いいな」と思う会社がいくつかあり、その後はリージョナルキャリア北海道だけに絞って転職活動をしました。他に重視したのは、残業があまり多くないこと。以前は多い時は月に100時間を超えていたので、そこは改善したかったのです。仕事内容の面で希望したのは、システム開発の上流工程に関わりたいということです。前職では設計、開発、テストなど、下流工程でものづくりをする部分を手がけていたので、今の仕事のように、お客様の要望を聞いてシステムを企画する仕事をしたい、プロジェクトリーダーとしてやっていきたいという気持ちはありました。
今の会社に決めたポイントは?
リージョナルキャリア北海道からいただいたリストにあったのは6社。そこから2社の面接を受けました。最終的にホクレン情報サービスを選んだのは、一つには安定性ですね。親会社であるホクレンは、北海道では知らない人がいないような大きい企業ですから、確かな後ろ盾があるという安心感がありました。収入や福利厚生の面でも申し分なく、実質的にはホクレンのシステム部門 のような立場なので、北海道に定住したいという条件にも合致しました。何より、ホクレンは食に関わりの強い企業。自分が北海道に魅かれた一番の理由が食だったので、自分の力で北海道の食に貢献できるなら、これほどやりがいのある仕事はないと思い、決めました。
家を買い、第二子の誕生を待つ。プラスしかなかった転職。
転職していかがですか?
最初の2~3ヶ月は先輩に付いていましたが、その後は自分で案件を担当させてもらっています。やりながら鍛えられて、成長した実感はありますね。ただ、前の職場でやっていた仕事と比べると、仕事の難易度はやはり高いです。同じシステム開発でも、以前のような下流行程では決められた方針に従って設計や開発をこなしていけばよかったのですが、今のような上流工程では、ユーザーと折衝して、自分で方針を決めていかなければなりません。責任が大きく、難易度も段違いに高いと感じます。プラットフォームも、今まで学んできたWindowsやLinux等とは全く違ったものを使っているので、今まで培ってきた知識が使えない、通用しないことも多く、慣れるのにはかなり時間がかかりました。入社から1年以上経ち、やっと慣れてきたところです。
転職して良かったと思うことは?
指示されたものを作るのではなく、ものづくりを監督する仕事なので、“プログラムを作っている”より“システムを作っている”実感が大きいです。 案件に深く関わるようになってくると、楽しさも深まります。システム全体を見なければならない分、手応えが大きいですね。あとは、自分の関わっている仕事が新聞記事になるというのも、大きなやりがいを感じます。プライベートでも腰を落ち着けて生活できており、転職して良かったと思うことしかありません。
困っていることや課題はありますか?
今後の課題は、難易度の高い仕事に対応していくこと。入社してからこれまで小規模な既存システム改修の案件を主に担当し、数をこなしてきました。 でもそろそろ新しいシステムの開発や再構築など、大規模な案件 も手がけてほしいということで、まさに今、そういう仕事を任されています。また、私たちが作るシステムにおいては、農作物がどのように流通し、そこにホクレンがどう絡んでいくかを理解していないと、細かい要件分析ができません。ですから、ユーザーの業務を把握するところは一番の課題だと思っています。
生活面の変化はありましたか?
一言で言うと、落ち着きました。東京に住んでいる間はどうしても仮住まいの感覚が強く、腰を落ち着けることができませんでした。今は北海道に帰って来たので、どっしり構えて、腰を据えて今後のライフプランなどを練っていけるのは非常に大きいですね。収入が増えて安心してローンも組めるので、今、家を買って建設中です。子育てに関しても、何か問題があれば妻の母に頼れるので、その辺は安心感が大きいです。実は今、二人目を授かって秋には生まれる予定。これも落ち着いた生活ができているからこそです。残業も月に30~40時間程度なので、希望通りの生活ができていると思います。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
まずは自分の求めているものは何か、目指す場所はどこかを明確にすること。そうしなければ方向が定まらない、道が見えてこないと思うのです。方向が決まれば、それが転職する熱に変わってくると思いますし、それは採用する企業の側にも伝わるものではないでしょうか。私の場合で言えば、出張や転勤に悩まされることなく、北海道でシステムエンジニアの仕事をしていきたいという明確な希望があり、ゆくゆくはプロジェクトリーダーとして活躍したいというシステムエンジニアとしての目標がありました。 そこに向かって“狭く深く”活動したことが、転職の成功につながったのではないかと思っています。