牧場からジンギスカン、商品開発・販売まで。「羊と言えばマツオ」という存在へ。
株式会社マツオ
代表取締役社長 松尾 吉洋
1974年北海道滝川市生まれ。早稲田大学を卒業後、1999年に株式会社マツオに入社。羊肉の加工処理などを行う工場からスタートし、2014年、代表取締役社長に就任。フードコートの出店、松尾めん羊牧場開設、東京エリアへの進出加速などを推進。一方、「まつじん」などの名称で展開していた直営店を全て「松尾ジンギスカン」に統一するなど、VI・CIを整備。小中学校と一部の高校へ給食としてジンギスカンの無償提供を行うなど食育にも力を入れ、創業の地・滝川の食文化のPRにも貢献する。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
滝川だからこそ生まれた、味付ジンギスカン。
ジンギスカンといえば、北海道を代表する名物グルメの一つ。株式会社マツオは、おいしいジンギスカンを提供する「松尾ジンギスカン」の展開を中心に、めん羊牧場の運営から食肉の加工、販売までをワンストップで行う会社です。創業は1956年で、約70年の歴史を持ちます。
大正時代の日本で、羊毛を国内で確保するため「緬羊100万頭計画」という国策が実行されました。その種羊場に選ばれたのが、北海道では月寒と当社が本社を置く滝川です。種羊場は道外にも開設されましたが、すぐに廃れ、北海道の2場だけが残りました。
羊毛のための羊なので、当時は肉を食べようという人はほとんどおらず、むしろその臭みが嫌われていました。しかし、マツオの創業者である祖父の松尾政治は、緬羊業組合の知人に招かれて食べた味付きの羊肉の味に感動し、そこから独自の味付けタレの研究を重ね、醤油と生姜をベースに、滝川地区で採れるリンゴと玉ねぎを加えたほんのり甘いタレを完成させ、松尾羊肉専門店(現在の松尾ジンギスカン)を開業しました。
当初は苦労もしましたが、タレに漬込むことでやわらかく、臭みの消えたジンギスカンは、徐々に「羊とはこんなにうまいものなのか」と認知が広がっていったようです。創業時は羊肉の量り売りだけでしたが、「実際に食べてみたい」という声が強く、自宅の一部を改装してジンギスカン料理を提供するようになりました。これが、松尾ジンギスカンのレストランとしての出発点です。
羊がいて、玉ねぎやリンゴなど農作物の産地だった。そういった滝川の風土が味付ジンギスカンを生み出した、といえるかもしれません。やがて、他にも多くの店舗がジンギスカン料理を売り出すようになりました。
創業者の祖父も、のれん分けの形で松尾ジンギスカンを広げていきました。そして、道内にジンギスカン料理が浸透したのです。味付ジンギスカンを北海道の名物に成長させたのは、決して当社だけの力ではありません。しかし、当社がその一翼を担ったのは確かです。
レストランもパッケージ商品も、牧場運営も。
現在、松尾ジンギスカンはレストラン部門として北海道内と都内で直営14店舗を展開。今や、ヘルシーでおいしい食べ物という認知が定着しました。当社はもともと羊肉販売店として出発したため、物産展やオンラインショップ・スーパーなどを通じたパッケージ商品の販売も行っています。
これがマツオの大きな強みです。コロナ禍で、レストランは大ダメージを受ける一方、巣ごもり需要が拡大し、ネット通販は大きく伸びました。北海道には人気のジンギスカン料理店がたくさんありますが、並行してパッケージ商品を販売する所は、それほど多くありません。
パッケージ商品を通じて、羊肉を家庭で日常的に親しんでいただく。そして、直営レストランでは松尾ジンギスカンでしか食べられない、メニューや非日常の味わいを楽しんでもらう。これら両輪を回していくのが肝要です。
今後の発展のため、道外への店舗拡大や観光客の取り込みが重要なのは言うまでもありません。しかし、そのために地元のお客さまをないがしろにして、「松尾は観光客が行くところ。地元民は食べない」となってしまっては、まったく意味がありません。ベースは、あくまで道内のお客さまに楽しんでもらうこと。その上で、通販や道外展開に注力したいと考えています。
2016年から松尾めん羊牧場の運営も開始しました。北海道の大自然の中でサフォーク羊を育み、その貴重な命を、高品質で安心安全な食材として感謝しながらいただく。北海道だからこそ味わえる、という感動を提供するための試みです。まだ頭数が少なく、出荷できるのは100頭程度ですが、着実に継続していきます。
味付の松尾ジンギスカンは肉を焼くだけでなく、肉を味付けしているタレで、他の食材を煮て楽しめるのも特徴です。2022年、25年ぶりに刷新した6代目のジンギスカン専用鍋は「焼きやすい」「煮込みやすい」「焦げにくい」にこだわりました。味付の羊肉を鍋の中央で焼き、周りで肉の旨味がたっぷり出たタレで野菜やうどんを煮る。松尾ジンギスカンの良さを余すところなく堪能できます。
羊肉は、世界中で愛される食文化。
羊肉はジンギスカンだけでなく、いろんな食べ方があります。宗教的な制約もなく、イスラムでもヒンドゥーでも食べられるので、世界中で親しまれているのです。ラムチョップはメインディッシュで出てくるほどの素材ですし、中華にもイタリアンにも馴染みます。
松尾めん羊牧場を開いたのは、そういった日本人に馴染みの薄い羊肉文化を提供したい、という思いもあります。実は、自社牧場で育成したこだわりのサフォーク羊を始め、世界のさまざまな羊肉を多彩なスタイルで提供する店舗を、2020年にオープンすることが決まっていました。コロナ禍で一時撤退を余儀なくされましたが、状況を見て再チャレンジするつもりです。
パッケージ商品でも、ジンギスカン以外のラインナップを充実させていきます。ミートファクトリーを新設し、食肉加工のプロセスで出る端切れを活用した、ソーセージやハンバーグ、レトルト食品といった新商品開発にもトライしています。
端切れとはいっても、品質的にはまったく問題のない食材。フードロスの削減という観点からも、意義のある取り組みです。羊肉はジンギスカン以外にもいろんな食べ方があります。そんな羊肉の魅力を、食材・レシピとともに発信していこう、というプロジェクトも進めています。
日本人は一年で平均35kgの肉を食べます。しかし、その99%は牛・豚・鶏で、羊肉はわずか100g台に過ぎません。ジンギスカンを食べる北海道民でも、ようやく2~3kgというところ。
しかし、これは大きな可能性を秘めている、ともいえます。羊肉の魅力をしっかりと伝え、第4の食肉として認知してもらえれば、需要を伸ばせるかもしれません。平均100gの需要が200gに伸びただけでも、市場は2倍に拡大したことになります。大きなフロンティアが、ここに眠っているのです。
マツオは、巨大な食肉の分野でNO.1にはなれません。しかし、羊肉に限れば、日本一になれるポテンシャルを持っています。牧場での育成、食肉加工・パッケージ化、ジンギスカン及びそれ以外のメニューの提供、ミートファクトリーによる新商品の開発、販売まで一貫して行える、「羊といえばマツオ」と言われる存在になれる可能性があるのです。
「家族や仲間との思い出づくりに貢献し続ける」
もう一つ、力を入れているのが「食育」です。北海道の食文化であるジンギスカンを受け継ぎ、後世まで伝えてもらいたいという思いで、中空知地区5市5町の小中学校、一部の高校の給食用にジンギスカンを無償提供しました。昨年は6,000人分、約1トンを供給しています。
緬羊100万頭計画という国策のもと、滝川に種羊場が開設され、滝川がリンゴと玉ねぎの産地だった。それが味付ジンギスカンという食文化をもたらした。そういった歴史も知ってもらいたい。そのために食育に取り組みたいと考えたのです。
当社は、松尾ジンギスカンについて「道民のソウルフードとして、家族や仲間との思い出づくりに貢献し続ける」というブランドプロミスを設定しています。「家族の誰かに嬉しいことがあった時は、松尾ジンギスカンに行ってお祝いした」とか、「帰省した日の晩ごはんは、必ず松尾ジンギスカンだった」とか。常に家族や仲間の思い出とともにある。そんな空間を作っていこうと全従業員で共有し、ブランドプロミスとして公表しました。
学校給食への取り組みも、そうした情緒的価値の提供の一つです。生徒児童のみなさんに、「給食でジンギスカン食べたらすぐ夏休みだったな」という思い出にしてもらうため、実施時期は夏休み直前にしていただく。そして、給食時間中は、当社で作成したDVDでジンギスカン誕生の背景を知っていただき、地域で生まれた食文化に愛着を持つ。このような活動を今後も続けていきます。いずれは牧場を拡充し、子どもが気軽に羊と触れ合えるような場所も提供したいと考えています。
羊において日本一の会社になる。
私が社長に就任して10年、労働環境の整備にも注力してきました。賃金や残業の在り方を見直すことで、働き方改革も徐々に進み、女性の役職者登用なども出てきています。まだ道半ばながら、今後もワークライフバランスの充実を重視し、「マツオで働いて良かった」と従業員に思ってもらえる環境にしていきます。
当社は、さまざまな人材に活躍の場を提供できると思います。店長をはじめとした店舗運営関係スタッフに加え、事業企画などの人材も充足しているとはいえません。もっとも大事なことは、「家族や仲間との思い出づくりに貢献し続ける」というブランドプロミスに共感していだたけるかどうか、です。
道民に愛され、道外の方々や観光客に感動を与えるジンギスカンを提供することに誇りを持ち、羊において日本一になるんだという目標を共有できれば、楽しく働いてもらえるのではないでしょうか。
飲食に関わる事業を営む者にとって、コロナ禍は大変な災厄でした。しかし、悪いことばかりだったわけでもありません。コロナ禍で工場のフル稼働が難しくなったため、限られた時間で生産性を最大限に高めようとずっと努力してきました。おかげで、だいぶ筋肉質になったと思います。
レストランも同様で、タブレットオーダーシステムや配膳ロボットを導入したことにより従業員の負担が減り、サービスの向上につながっています。ぜひ一緒に、「羊と言えばマツオ」と言われる会社を目指しましょう。