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トライする者だけが、未来を拓く。世界で戦う金属の総合デパート。

株式会社ワールド山内
代表取締役社長 山内 雄矢

更新日:2023年3月01日

1977年生まれ。1995年、北海道自動車短期大学に入学。入学と共に、高校時代から志していたジェットスキーのプロライダーの道へ進み、全国・世界のレースに参加。2年間の競技生活で、日本チャンピオン・世界2位の成績を残す。卒業後、99年にワールド山内に専務として入社。事業領域の拡大を推進する。2016年、社長に就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

ジェットスキーのプロライダーとして活躍後、ワールド山内へ。

高校卒業後、私はジェットスキーのプロライダーとして、日本・世界のフィールドを駆け回っていました。父に「ジェットスキーのプロライダーになる。2年で必ず日本チャンピオンになってみせるから、挑戦させてください」と頼みこみ、了承してくれたのです。高校生の夢みたいな頼みを許してくれた父は、今さらながらすごい人物だな、と感じます。

水上を時速140~150kmで走る「水の上のF1」と言われる、常に危険と隣り合わせのスポーツでもあります。その競技では、エンジンのシリンダをばらしたりコンロッドを溶接したり、電磁バルブを付けて排気調整できるようプログラムを組んだりと、機体の調整を自分で行ってレースに臨んでいました。

その過程で力学や機械工学や電気工学、情報工学を自力で学びました。競技で世界を巡るため英語もやりました。何でも自分でやってみないと気がすまない、雑草魂があるんです。努力の甲斐もあり、私は父に約束した通り、1997年に日本チャンピオン、ワールドカップ2位を達成。レースを戦う中で、日本・世界のトップライダーとも仲良くなりました。

モータースポーツに飛び込んだことで、私は機械も電気も学んだし、グローバルな視野が身につきました。そして「絶対できない」なんてない、やっていないだけだ、という真理を再確認できました。この全てが現在につながる、貴重な財産となっています。

お客様の感動を呼ぶ製品づくりにまい進し、新規顧客を獲得。

その後、父の経営するワールド山内に21歳の専務として入社。従業員は15名程度、売上規模は3億円程度の頃でした。当時の主力製品は建物の内装や装飾、サインに使う建築金物と、土木工事で使う金物です。公共事業に伴う鉄の加工を主体としていました。

社長の息子ですから、やればやったで「できるのが当たり前」。できなければ「やっぱりジュニアはバカだ」なんて陰口を叩かれます。だったら自分は、よくある二代目・三代目経営者では考えもつかないことをやってやろう、と思いました。お客様から「専務と話をすれば全部解決するね」と言ってもらえるだけの信頼関係を築こうと考えたのです。

お客様の心をつかむには、やはり製品で期待に応えるしかありません。単なる無機質な素材に、どれだけ志を込められるか。全従業員の息吹を感じられるような、生きた製品をお客様に届けられるか。そこまでパワーを注入した製品こそ、お客様を感動させる力を持つのです。

私は、お客様の感動を呼ぶ製品づくりにまい進しました。そのおかげか、「これだけ良い仕事をしてくれるのなら」と、新規顧客が増えていきました。そして顧客が新たな顧客を紹介してくれるようになり、事業は拡大しました。

20年前から熟練技術のシステム化に注力し、技術を全員で共有。

ものづくりを行う上で、北海道は「冬に仕事がなくなる」という弱点があります。この市場に固執していては、未来はない、と私は30年前から考えていました。まず手を付けたのが、建築土木以外の分野への進出です。農業機械や除雪機、水産加工機、プラントなどのメーカーの門を叩き、仕事の幅を広げました。

さらに道外に視野を向けました。電機、医療、自動車、産業機械、半導体などあらゆるメーカーに足を運び、毎月少しずつでも新たな領域の仕事を増やしました。北海道でものを作っても、物流コストが高くつくと懸念を持たれがちです。しかしそれを凌駕するほどのコストパフォーマンスの高い製品を提供すれば、信頼は得られる。私はそう考え、全国に、海外に足を伸ばして営業活動を続けました。

ワールド山内の製品を選んでくれるメーカーが、なぜ増えていったのか。一つには、受け取った時に感動を与えるような製品を提供できたからです。それに加え、管理体制の整備もあります。

日本全国の中小企業の大半では、熟練の職人が活躍しています。しかしどれほど技が素晴らしくとも、属人的なままで伝承がなされないと、技術は途絶えてしまいます。それでは、大手メーカーから長きにわたる信頼は獲得できません。全国で、世界で勝負するには、技術を人でなく、会社に属するようにしなければなりません。

私は、そのための仕組みづくりに力を注ぎました。職人の持つ技術をデータ化・可視化し、システムやライン、ネットワークに置き換え、従業員全員で共有する。今日入ったばかりのパートでも、ベテランと同等のものづくりができるようにする。そうしたシステム開発に早くから取り組んだのです。

今でこそものづくりのDX化と言われますが、当社は20年前から、当たり前のように実践してきました。その成果が発揮され、お客様に質の高い製品を提供する体制が生まれたわけです。

「絶対できない」なんてことはない。トライしていないだけ。

当社の製品は全て自社で開発・設計し、製造し、検査・評価しています。切る、曲げる、溶接する、削る、塗装する、組み立てる、といった全工程に一社で対応できる中小企業は、全国でも珍しいのではないでしょうか。

分野が異なれば、加工精度も違ってきます。電子部品、半導体関係となるとミクロン単位になるので、三次元測定機が必要です。すなわち、新しい分野の依頼を受けるごとに設備も更新しないといけないわけです。

材料も変わります。今、当社では鉄以外にステンレス、アルミ、真鍮、銅、チタン、さらには特殊耐熱鋼板のインコネルやハステロイにも対応しています。材料が変わると加工法や設備も改めなければなりません。

「そんなことできるのか?」と思われる方もいるかもしれませんが、「絶対できない」なんてないのです。世界のどこかでやっているなら、当社にもできる。「価格が合わない」なんて言い訳してやらないから、できないだけです。私が大事にしているのは「ナイストライ」と言い合える風土です。成否は問題じゃない。思っていてもやらない人や会社が多い中、トライしただけでも価値のあることなのです。

優秀な大学を出た人が当社でも働いていますが、頭の中でどれだけ完璧に理論を組み立てても、作ってみたら、想定外が必ずあります。それを知ることが大事なのです。うまくいかないんじゃないか…と怯んで何もしなければ、壁はぶち破れません。壁を破れるのは、失敗を恐れずトライする人間だけです。そして、トライしている時ほど人の発想は豊かになり、壁を破るための選択肢が見えてくるものです。

従業員に「トライしてみろ」というのは簡単ですが、人に言われて始める挑戦なんて、あまり意味がありません。まず自分がやりたい、という強い思いがなければ。だから当社では、まず私が先頭を切ります。失敗しても挑戦する社長の姿を見れば、志ある従業員は動き出します。従業員が変わらなければ、会社は進化しません。

当社では自分たちのことを「金属製品の総合デパート」と呼んでいます。金属ならありとあらゆる製品が当社で揃う、それだけの技術を持っている会社だ、と。そう胸を張れるようになったのは、あらゆることにトライし、可能性を切り開いてきたからです。

総合デパートなので、当社では社内で「転職」できるのです。普通、切削屋さんは切削しかやらないし、塗装屋さんは塗装しかやりません。ですが当社にはあらゆる工程が揃っているので、溶接屋が組立屋に「転職」できる。塗装屋が機械加工屋に「転職」できるわけです。ものづくりが好きだったら、一生飽きないと思います。

航空宇宙分野に参入。2030年までに、自社でロケットを飛ばす。

今、参入に向けトライを重ねているのが、航空宇宙の分野です。2022年には航空機向け製品を製造するための工場を建設しました。また北海道初の航空コンソーシアム『SACSuC(サクサク)』を立ち上げ、目標を同じくするメーカーとともに航空分野のものづくりを育てていこうとしています。

航空分野参入には、莫大な資金と時間、能力が必要です。図面は全部英語だし、JIS Q 9100という航空宇宙向けの品質マネジメントシステム認証を取得しなければなりません。航空機業界の国際認証「Nadcap」取得も求められます。製品検査レベルも他産業とは段違いで、絶対に故障しないと保証できる技術力が欠かせません。

コストも手間もかかる分野を開拓するのは、リスクです。しかし、リスクを背負わなければ、会社は伸びません。どの産業も根本は「変化対応業」でしょう。変化に対応できない会社は生き残れないし、社長だけでなく従業員全員が本気でトライしなければ、新たな分野で認められることはありません。

私は2030年までに、自社開発・設計・製造のロケットを飛ばすと公言しています。機体はメドが立っているので、後は燃料系です。この点では、北海道大学で学ぶ学生や、大学発スタートアップ企業『Letara』を設立した人々が一緒にやりたいとオファーをくれています。彼らと力を合わせながら、課題を克服していこうと思います。

一般消費者向けの製品の製造にも着手しました。『World Craft Design』ブランドで展開するゴルフのパターがそれで、1本100万円をベースに販売しています。「高い」と思われるかもしれませんが、私に言わせれば、2~3万円で買えるパターは、本物のパターと呼べません。私は本物で勝負したいと思ったから中身にこだわったのです。

これに加え、アウトドアブランドも立ち上げました。焼肉台なのですが、一台最低10万円するのですが、キャンプやグランピングを楽しむ人が増える中、高くても購入する人が増えています。これも息の長いブランドとなりそうです。

個人的なものでいい。「信念を持っている」人に出会いたい。

ワールド山内が発展を続けるには、まだまだ仲間が必要です。文理も技術経験も不問。当社にはいろんな職種があるので、適性と希望で活躍していただける場所を決めたいと思います。

私が人材を見る時、重視するのは「信念を持っているか」どうかです。極めて個人的で、くせのある信念でもいい。例えば、遊びでもいい。ラジコンが好きとか、バイクが好きでもいい。何であれ、極めようと思うとお金と時間が必要です。仕事と両立させながらお金と時間を工面するのは苦労するかもしれない。それでもやり抜きたいなら、それは信念だし、私は尊重します。

当社では、年功序列とか終身雇用という考えはありません。仕事は全て成果で評価します。若くてもできる人間には多くの報酬を出します。その方が、若い人間は伸びるものです。 私たちの考えに賛同し、同じ未来に向かって努力を惜しまない。そんな方は、大歓迎です。大好きな北海道から、世界で戦えるものづくり企業を生み出すため、一緒に戦ってください。

編集後記

チーフコンサルタント
福澤 謙二郎

山内社長とお会いするたびに、常に前向きに挑戦し続ける強いエネルギーを感じます。そして同時に、そのエネルギーに引き寄せられて社長と一緒に走る、社員の方々への深い愛情も感じます。

そのエネルギーと一体感の積み重ねの結果、全国でも希少なメーカーに成長し、全国の大小様々なメーカーや学校から見学に来る方も多いと伺っております。その方々も山内社長のエネルギーに引き寄せられていく光景が容易に想像できます。

2030年まであと7年。そのエネルギーを燃料にロケットが空に向かって一直線に突き進む光景を目にすることができる日を楽しみにしています。

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