100年の実績がある。独立系ならではの発想と挑戦がある。
株式会社宮田自動車商会
代表取締役 宮田 祐市
1973年生まれ。2002年、宮田自動車商会に入社。その後、石狩営業所長などを経て、2007年に取締役、2011年、社長に就任。新規商品の取り扱い、自動車部品以外の商材への取り組み、テクニカルセンター開設、DXによる物流の効率化などを手掛ける。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
100年の信頼と、確かな物流体制が基盤。
宮田自動車商会の創業は1921年。自動車整備および部品販売という事業で、100年の歴史を重ねました。戦前・戦後と激変する時代の中、途切れることなく事業を続けることができたのは、自動車部品販売に着目した創業者や、それに続く経営陣たちの慧眼にあったのではないかと思います。
自動車部品の卸では、営業活動とともに物流整備がポイントになります。当社は自動車整備工場やカーディーラーなどから発注を受け、国産車や輸入車向けの消耗品や交換部品、潤滑オイルやタイヤなどを配送します。配送頻度は1日4回なので、お客さまは欲しいタイミングで必要な部品を入手できるわけです。
車は定期点検や車検などのタイミングが決まっているので、これらの時期にはニーズが必ず生まれます。普段からお客さまとの信頼関係を築いておけば、ニーズが発生した時にすぐ声をかけてもらえますし、タイムリーに配送できるので、お客さまの満足度も上がります。だから、物流が大事なのです。
私は入社後、営業を行っていたので、これまでのビジネスモデルの有効性を実感していました。しかし、それだけでなく、技術が激しく進化する中で、新たな情報提供や提案を通じて、お客さまの売上に貢献する必要があるのではないか、とも思っていました。
配送ルートを活用し、新規商材を取り扱うことで、お客さまに貢献。
自動車産業の黎明期は、1社が販売から整備まで担当することも珍しくありませんでした。高度経済成長とともに自動車の台数が増えると、1社でできることは限られるため、分業が進んでいきました。販売に特化する会社、整備専門の会社、そして当社のように部品販売を中心に事業展開する会社も出てきて、役割を分担しました。
しかし、今は少子化で市場は縮小しています。従来通りの分業された役割の中で四苦八苦しても、業績の伸びは期待できません。これまでのモデルは活用しながらも、新たな分野に広げていく必要がある。そう考えたのです。
そこで、私は営業所長になった頃から、自身の裁量の範囲で新たな動きを始めました。1日4度、お客さまを巡回するルートは構築されています。このルートを使って、自動車部品以外の商材も配送しようと思ったのです。顧客の工場には、ガラスや塗料、リサイクル品など自動車以外の部品も届けられています。これらを当社が一括して取り扱えば、お客さまの手間は省けますし、必要な時にいつでも入手できます。
もちろん、ガラス業界・塗料業界の会社にとっては、当社が競合となるので、反発もありました。私は、既存の会社が扱っていないニッチな商品からスタートすることで、無駄なあつれきを回避しつつ、実績作りにまい進しました。
一方、本丸の自動車部品も見直しました。ケミカルやオイルなどの消耗品で、従来揃えていなかったブランドでも、お客さまからのご要望があれば、ラインナップに加えるようにしました。車が進化し、お客さまのニーズが多様化している以上、それに応えることが重要です。定番品は揃っているけど、新たな商材はあまりない、というのでは、いずれお客さまから見放される。そんな危機意識がありました。
スカウトした経営幹部の活躍によって、組織運営がスムーズに。
2011年の社長就任後は、新たな分野の開拓を全社的に展開。単に商品を売るだけではない、お客さまの課題を一緒に解決していくコンサルティングを行っていこう、と従業員に訴えました。
従来型の営業に慣れていた従業員には、戸惑いもあったと思います。業績が極端に落ち込んでいた、というわけではありませんでしたから。それが少しずつ動き出し、形になっていったのは、思いが共有できる経営幹部を、社外からのスカウトで獲得してからでしょうか。
今、常務としてがんばってもらっているのですが、彼が当社のコアバリューや幹部育成マニュアルを整え、幹部研修を実施するようになって、組織が明らかに活性化してきました。
私一人では到底担えていなかった組織運営・部門運営が、スムーズに回るようになったのです。仕組みが整備されたことで、従業員も自らの目標を明確化できたのでしょう。従業員たちに意図が伝わりやすくなり、工夫や発想も生まれるようになりました。
新たな動きを始めてから、長く横ばいが続いていた業績も少しずつ上昇を始めました。私の社長就任当初の年商は45億円程度でしたが、やがて50億、60億を超え、70億円も間近に迫っています。
もちろんこれは、私の言葉を信じて動いてくれた社員たちと、環境を整備してくれた経営幹部たちのおかげです。
車が変革する中、テクニカルセンターなど新たな挑戦を重ねる。
独立系自動車部品販売会社として、当社は北海道における業界のトップランナーといっていいでしょう。しかし、全体を見渡すと、自動車メーカー系列会社の存在感が増します。年商も、メーカー系列の方が遥かに上です。
ですが、独立系はメーカー系にはできない柔軟で自由な動きが可能です。従業員一人ひとりのアイデアを拾い、事業に活かすこともできます。独立系ならではの強みを活かし、営業力と物流体制を強化していきたいですね。
最近では、DXも活用しながら業務をさらに効率化させているところです。柔軟で自由な動きの代表例が、テクニカルセンターです。テクニカルセンター自体は2015年に開設していましたが、これを戦略的に活用します。
車は今、100年に1度の大変革期にあります。パワートレインは電動化され、自動運転が可能となり、ネットワークにつながり、さらに所有ではなくシェアされるモビリティーへと変貌を遂げようとしています。
これに伴い、自動車整備のあり方も変わります。アルミや炭素素材など、鉄以外の素材にも対応できる設備を導入しなければ、修理ができません。また、ユニット化によるブラックボックスも増えていて、修理時の取り扱いが難しくなっています。そもそも自動運転が進むと、事故自体減少するでしょう。
各整備工場が最新設備を用意するのは、大変な投資になってしまいます。そこで、お客さまの工場で扱うことが難しいケースは、当社のテクニカルセンターに持ち込んでもらうのです。いわば当社が、工場の外部パートナーになるわけです。
テクニカルセンターには、自動車のエーミングを行う設備が整っています。エーミングとは、自動運転や自動ブレーキなどに必要な各種センサ、カメラなど電子制御装置を正しく作動させるための校正・調整です。しかしエーミングを行うのは、通常の整備工場では容易ではありません。
しかし、テクニカルセンターには、そういった最先端、あるいは特殊な整備を実施する環境や情報が揃っています。また、四輪アライメントテスターやフレーム修正機、全自動タイヤチェンジャーなども導入済。お客さまにとっては、便利に使えるパートナーとなるでしょう。現在、テクニカルセンターは札幌に1ヶ所ですが、いずれ他エリアへの展開も視野に入れています。
次の100年を創るため、自ら考え行動し、挑戦できる人が必要。
現在、次の100年を見据えた中長期の経営計画を策定しています。そこで打ち出そうとしているのが、新たな分野へのチャレンジです。車関連の事業だけ、とは限りません。
北海道には、農業や観光など、強みを発揮できる産業があります。「ここでできることはないか」と模索中。まさに、第四の創業期を迎えたといってもいいでしょう。
そんな当社が求めるのは、自ら考え行動できる人です。「100年企業の安定性」に魅力を感じるのではなく、「次の100年を作るには、挑戦しかない」と意欲的になれる方がふさわしいと考えています。
当社は、新たな経営幹部を外部から迎えたことで、新分野へスムーズに取り組める会社へと成長しました。私一人では空回り気味だった組織運営が、転職者の力によって動き始めた。そういった経験をしているからこそ、中途採用の方には大きな期待を寄せています。今後は、人材育成もさらに強化していきたいですね。
私はかつて、リージョナルキャリア北海道(リージョンズ株式会社)の、採用と組織づくりに関するセミナーを受けました。そこで学んだことは、「面接では聞き役に徹する。そして転職者がどんな壁にぶつかり、どう乗り越えたか、どんな人となりかを見極めることが大事」ということでした。
そのセミナーを受けて以来、面接時は、ご応募いただいた方の声をしっかり聞くように心がけています。ぜひあなたの思いを聞かせてください。そして、一緒に100年続く会社を創り出しましょう。